あくあん's blog

つらつらと書きます。最近はカメラの話。書評やガジェットの話なども。

本当に欲しいのは...?

ふふ、下手だなぁ、カイジくん。へたっぴさ...!欲望の解放のさせ方が下手...!カイジくんが本当に欲しいのはこっち..!

 

前回に引き続きカメラ(NIKKOR)レンズの欲しいものを考えていきます。

簡単に言えば全部のレンズを持っていればそれで解決なのですが、私は石油王ではないのでそこまでお金は出せません。

しかし、そもそもどのようなレンズが欲しいのか?という点に関しては、多少の考察の余地があるでしょう。

 

趣味に限らず、何か新しいものを導入することを考えるとき、いくつかの障壁があります。典型的なものとしては

  • コスト
  • 運用
  • リターン

などでしょう。一方で、趣味領域となるとこれに「それを導入することで得られる新しい視点や新しい楽しみ方」というのもあると思います。例えば興味がないと思っていたジャンルの書籍がたまたま「当たり」でそのジャンルに興味を持ったり、新しいゲームを買ったらたまたま友人や日頃付き合いのある人も同じゲームを持ってて、意気投合したり。新しいものを買うときに、このようなたまたまの要素まで考慮に入れて消費行動につなげることは難しいぶん、買い物のリターンというのはマイナスの面も含めてボラティリティがあると言えます。

 

カメラレンズも同じだと思っていまして、例えば望遠レンズを買おうと思ったら私は今の写真フォルダから望遠端で撮影した写真を選び、〇〇mmならおおよそこのくらいで切り取れるのか...など考えていますが、実際にレンズを所有することで撮影しようと思えるものが増えるのではないかとも思います。しかし(予想以上に重くて持ち出さなくなるマイナス面も含めて)そのようなボラティリティがどこまでの影響を持つかがわからず、結局今の運用であればトリミングで十分という話に落ち着きがちな部分もあります。

 

抽象的な話ばかりしていたのでレンズの話に戻りますが、NIKKOR Z 105mm MC f2.8 VR Sというレンズがございます。中望遠かつマイクロレンズということで、24-70mmで足りない範囲や物撮りなどで活躍しうるのではないかということも考えますが、24-70の望遠端(70mm)の最短撮影距離が30cmと大変寄れる物でして、大体の寄った撮影はこれで済んでしまっています。また、70mmと105mmだとトリミングも含めて考えると大して差がなく、中望遠とはいえそこまで魅力的な距離感でもありません。さらにF値も2.8と、1段分しか明るくないので、現在の延長での運用で見ると、そこまでメリットがあるか?と言われると微妙なところです。

もちろん、マイクロレンズならではの薄いピント面を生かした撮影やボケ感・画質や色味が、事前に予想したよりも色々なシーンで使える(=プラスのボラティリティがある)のかもしれないですが...

 

そんなことを考えていると、たかだかあるかもしれないボラティリティも考慮に入れて10万円もの大金を叩くというのは賢い選択ではないかなぁと思ってしまう次第です。

 

それをいうと、35mmは色味一点でも24-70と比較するとだいぶ優秀かつ魅力的なのですが、すでに持っている焦点距離であることを考えると、ちょっと微妙でして...

とはいえ、35mmはいずれ買いそうな気もしています。

 

24-70のf2.8(標準大三元)は重たすぎる&高いし、70-200は最短撮影距離の長さと重さとデカさと高さが論外だし、85mmは最短撮影距離が長いし(ちょっと軽いし)、50mmは半端な画角だし...と意外と悩ましいポイントの多いこと多いこと。

お金を別としても、そもそもレンズの本数が増えてくると持ち運びや保管など運用の面で問題が出てきてしまうし、なかなか難しいものです。

 

レンズを選ぶ基準として重さや焦点距離、被写体を軸として考えているものの、意外と本当に欲しいレンズって多くないんだなぁと思った1日でした。

 

NIKKOR Z 105mm MCと35mmをさわってきた

今日はカメラトークで。

 

24-70 f4の補完として105mm MCを中望遠&マイクロ(めんどくさいニコンオタク)の役割で欲しいなーと思ったので、某家電量販店で見てきました。

最初は105mmを売り場にあるZ 6IIに取り付けてみたのですが、AFが迷いがちでなんだこれ...という感じに。私自身にZ 6IIの操作に不慣れな点があったのかもしれないですが、店員さん曰く、売り場にある機器は雑に扱われることも多く、結構本来のパフォーマンスを出せないこともあるのだとか。これが営業トークなのかどうなのかはさておき、確かに自分のZ 5に取り付けてみたところ、未だAFが迷う部分はあったものの、良い感じに速くなった感がありました。

 

店内なので中望遠の感覚ではうまく撮れなかったものの、寄ったときのマイクロレンズの被写界深度の浅さには驚かされました。F8くらいに設定しないとダメですね。F2.8だと紙1-2枚くらいしかピントが合う面がないです。

 

Z 5+エクステンショングリップZR-1と組み合わせると重量バランスが大変良く、取り回しが良さそうだなーと思いました。フードも丸型のものなので、デザイン的に結構イケてます。

 

そんなこんなで売り場を見ていたところ、35mm + 売り場のZ 5を試せる場所がありました。そこで、自分のZ 5と24-70 f4を並べて50mmなどのレンズを被写体として比較したところ、めちゃくちゃに35mmの発色がいい!びっくりしました。具体的には、黒いレンズのシャドーがほぼ見たままのように持ち上がっており、コントラストがしつこくない程度にはっきりとしていました。ピントとかの体感性能はそこまで変わらないものの、色味という部分で24-70 f4より35mm f1.8が圧倒的に綺麗でした。

他の50mmや85mmにはそういう感動がなかったので、たまたま照明の条件などがうまくいったのかもしれないですが、さすが10万円超えの単焦点レンズ...という感じでした。

 

趣味領域で10万を超える支出はなかなか厳しく、工面すればお金が出せるような状態であっても(今はそうではないですが)、105mm MCや35mmは大変良いレンズだなぁと思いつつも、買うかどうかで言われると非常に怪しいですね... まあ買うとしても来年以降かなぁ...

カメラ趣味の難しいところって色々あると思うのですが、機材を稼働率高く使い倒せるか、コストに見合う楽しみを生み出すことができるかという部分が自分には非常に難しく感じます。もちろん趣味ってそこら辺考えなくてもいいものだとも思いますが、何せ頭でっかちなのでついそういうことを考えてしまいます。

プロカメラマンという幻想

カメラの記事やツイートなどをみていると時たま出てくる「プロの人は〜」という表現。

アホかと。プロの人という括りでカメラ機材の選び方の軸を作るなという気持ちになります。

 

「プロの人」はスポーツカメラマンかもしれないしウェディングフォト専門かもしれないし、まあとにかく各種専門とする領域があるだろう。その中で必要な機材も変わってくるんじゃないでしょうか。

カメラマンに限らず、「プロ」に共通するのは

  1. お金を払ってくれる顧客がいる
  2. 顧客の要望がある
  3. 要望にかなう写真を成果物として納品する必要がある
  4. 期待される成果物を実現できるクオリティの機材が必要になる

という、成果物を前提としたワークフローや周辺機器のクオリティが確立されることであって、プロカメラマンなら誰もが任意の機材を最上位にするとも限らないのではないでしょうか。例えば映画撮影でも適材適所で、機動性が高いiPhoneやGoProを使うという場面もあるそうです。成果物を実現することが最優先事項であって、機材選定はあくまでそれに追従するもののはず。

 

この観点で見ていくと、アマチュアの人が「プロの人」を模範として機材選定することが馬鹿馬鹿しいかが浮かび上がります。これはカメラ趣味に限った話ではないと思っています。

一方で、違った観点で見ると、アマチュアの人が想定する成果物って何でしょう?カメラを趣味とする人はどんな成果物を求めるのか?

  • カメラで撮影するという体験
  • 等倍での画質チェックや周辺画質チェックを楽しむ画質道楽
  • 数字で表されたスペックを主に楽しむスペック道楽
  • 機材ごとの違いを楽しむ機材道楽
  • 撮影の際の旅情やカメラを利用する場の雰囲気を楽しむ旅道楽
  • 撮った写真をSNSにあげていいね数を稼ぐことを楽しむ自己顕示欲解放
  • 撮った写真で思い出に浸るノスタルジー

などなど、さまざまなものがあると思います。

楽しみ方は人それぞれだと思いますが、自分が必要とする成果物の考慮を促すことなく、ただただカメラ沼と称してカメラ趣味を一括りに紹介するサイトなどには飽き飽きですね。

趣味を楽しむ中で楽しみ方が変わってくることもあるとは思いますが、常に自分という顧客が求める「成果物」を忘れないようにしたいものです。

 

 

メモ書きとしての運用

もともとこのブログは更新頻度が低い。

 

しかしながら、自分はAppleの純正メモアプリを非常によく使っており、そこで文字を書く頻度は大変に高い。

ここ最近はカメラ関連のメモが多い。機材を買うほどのお金はないが。

 

自分の考えていることがインターネットを彷徨う誰かのためになるかもしれないし、これからはそのメモをできる範囲でこのブログで公開しても良いかと思うようになった。

インターネットにおける個人の生の考えやメモなどは、アフィリエイト記事が溢れるこの現代、結構貴重なものになっているのも、そう思った一因である。

 

どうやらシス創に関する記事は結構多くの(迷える)進学選択者に読まれているらしいし、noteなど別サービスにブログ内容を動かすのも面倒なので、このはてなブログ上でそのまま更新していこうと思う。

 

 

 

書評:データの見えざる手 ウェアラブルセンサが明かす人間・組織・社会の法則

どうもこんにちは、あくあんです。早いもので、2021年も2ヶ月が過ぎてしまいました。

今日もモーニングティーを飲みながら、先ほど読み終わった「データの見えざる手」という書籍について感想をちまちまと書いていこうと思います。

先に言っておきますと、この本、めっちゃオススメです。

 

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この本の趣旨としては、副題にある通り、ウェアラブルセンサはじめとしたリアルタイムデータ収集ツールを利用することで、人間行動や社会の特性を統計的に理解しようという試みについて述べるものです。人間の(コントロールできると思っている)時間、ハピネス、運といったトピックについて、各種研究から得られたデータやその考察を通して、人間や人間社会の裏に存在すると思われる「人間行動の支配方程式」を垣間見ていく、という非常にスリリングな内容となっています。

 

この著者の人、日立研究所のトップらしいのですが、IEEE Fellowなど多数のすごい役職を兼任していたり、多数の国際的な賞を取ったりなど、すごい(語彙力)としか言いようがない人です。マジすごい。

研究者らしく、各章もIMRDの流れがなんとなく見える上、文体も非常に平易で、比喩表現やアナロジーなども的をいたものとなっており、大変読みやすいです。すごい(語彙力)。

 

詳しい内容については各位に読んでいただきたいので言及しませんが、特に興味をそそられた内容を箇条書きで紹介します。

・人間の活動量は統計力学的に解釈できる

・仕事での活発さが幸福感につながる

・購買活動や仕事での「気持ち」は、個人が制御できるものではなく、個人がいる場に左右される

・AIの提案した売り場改善策は、専門家でも理由がわからないが、専門家でも為し得ないほどの売上改善につながる

こうやって書くと怪しい本な感じが出てしまいますが、これらの内容について、データ取得と解析を通して明快な分析がなされています。めっちゃ面白いです。

 

全体に横たわっている前提として、「大量のデータはなんらかの科学的知見を得るためのキーになる」という考え方があり、それは歴史が証明していることを、この本の中でもエピソードを引用することで紹介しています。この部分もこの著者の科学に対する造詣の深さに感銘を受ける内容です。

"月とリンゴは、天体と果物という全く違うジャンルのものだった。この両者に統一法則を見つけたのがニュートンの偉業だ。月とリンゴには見かけの違いを越えて、同じ運動法則が成り立っていたわけだ。異質でばらばらであることと統一的な法則に従うことは矛盾しない。"

"人間や社会についても、方程式のこのような特徴をうまく使えば、多様な社会の現実と矛盾しない形で、統一法則が見つけられるかもしれない。"

(「集中」という計測量を導入することについて、感覚は人によって違うことを踏まえながら)"しかし、計測量は感覚より客観的で、よりしっかりした根拠と基盤を持ちうる。感覚と異なり、大量に記録でき、参照でき、その変化や法則性を数学的に表現できる。"

 

最終的には、大量のデータから法則を導き出す人工知能(特に深層学習)について、コンピュータが人間活動をサポート・増強する可能性を述べつつ、その事例なども紹介しています。いわゆる昨今の人工知能ブームよりはるか前の2014年時点で、このような分量・高い質の本を書かれるというだけで、もう唖然とするばかり...

 

最近、情報サービスとの関係において、人間を考察し攻略する(ハックする)対象として考えることにハマっているのもあり、人間行動を科学するという方向性の論議は大変参考になりました。私としては、これに加えて大学の時に興味を持ったのが社会現象の法則化という分野だったのもあり、この本の内容はドンピシャでした。統計力学行動経済学、心理学に興味ある方もきっと楽しめるかと思います。

 

ちなみにこの本、ブックオフで220円で買いました。大当たりすぎてびっくり。5,000円とか出しても十分に納得できる内容です(なら今からちゃんと新しいものを買えという話ですが)

あと、この本は徹底してカタカナ語末尾の長音記号を省略してて面白いです。コンピュータとかセンサならわかるけど、ホームセンタとかコールセンタとかスーパーバイザとか、そこまでしなくてもいいでしょ...

書評:日曜日の住居学

気づいたら2021年になってしまった。どうも、あくあんです。

ここ数ヶ月ちまちまとブログを書きたい欲がありつつも、全然書くまでに至らなかったですね。うーん...

できればちょっとした機会を見つつ色々書くのを続けたいなーと思うので、どうぞよろしく。

 

今日は宮脇檀「日曜日の住居学」を読み終わったので、軽く書評でもしようかなと。

アフィリエイトリンクではないです。というか日本語URLだしURL有効になるかな... 関係ないけどTwitterって日本語URLは有効じゃないですよね、困る)

https://www.amazon.co.jp/日曜日の住居学-河出文庫-宮脇檀-ebook/dp/B01I1E1SOI/ref=sr_1_12?dchild=1&qid=1609851808&s=books&sr=1-12

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写真左側のやつ。テーマごとに5〜10ページ程度のエッセイという構成なので、すぐ読めます。

 

前提としている時代がだいぶ昔の本なので、表面的なところでは現在とは違う部分も多いです。ただ、「住まい方は生き方」という表題の通り、住環境(家)とは住むための箱物であり、建物はそこに住む人間(主役)の生き方を反映する・規定するという考えが感じられる内容でした。

また、都市・住宅群と個々の家のあり方やそこでの暮らし方なども含め、商業主義に洗脳された我々の行動を冷静に省みるテーマが多くありました。

日本人は衣食住のうち住の部分だけびっくりするくらいお粗末だ、という指摘、グサッときますね。ちゃんとみんな自分の部屋とか住まいを丁寧に扱ってますか?こういう集団の人間性みたいなのはこの本が出版されてから20年以上経っていても、そこまで変わってないんでしょう。

 

私も常々、「家に家具を置くにはどのような生活のグランドデザインが必要か」「どの家具/道具にどの役割を持たせるべきか」などを考えてものを買ったり、配置したりと考えています。賃貸住宅に住んでいる今、家がどのような「生活文脈」に位置づけられるべきか、そしてその家は生活装置としてどのようにあるべきか、そのための必要な構造は何があるかなど、住環境というナラティブを実装することについて非常に意識をしています。周りにある戸建て住宅を見たり、車が走る道路を見たり、外で遊ぶ子供や歩く大人を見たり...

 

そういう意味で、この本は非常にソフト面に寄った、住居に関するエッセイなのだなと思います。

どうも私はガジェットオタクとか車オタクに思われがちですが、このような「人間が世界の中で生きるには」というテーマが好きだからこそ、そのインターフェースとなるガジェットや車、ひいてはその背景にある社会構造に興味がある、といった方が適切かなと思っています。もちろん、それで擁護しきれない面もあるかとは思いますが...

 

そういえば、私は高校生くらいまで建築家になろうと思ってたんですよ。人間そんなに変わらないのかもしれないですね。

卒業して

気づけば半年以上?更新してなかった...

 

どうもこんにちは、あくあんです。最近は世間が騒がしく家からもあまり出られないような風潮なので、多くの人々は生活が変わったのだろうなぁと思う次第です。

 

私自身は引っ越しなど諸々のイベントがありつつ、なんだかんだ在宅勤務はいいなぁと感じています。もちろんオフィスに行ったほうが効率はいいんだけど。

 

本題?です。大学を卒業して変わったこと、変わらないことなどを主観で報告しようかなぁと思います。本当はこの激変した世界とテクノロジーのあり方みたいな(WIREDチックな)感じで書こうとも思っていたのですが、うまくまとまらないのでやめときます。

 

卒業して、何か変わったか?と聞かれると、あまり何も変わってません、としか言いようがないです。強いていえば使えるお金が増えた、というのはあります。ただそれ以外は(新卒というのもあって)あまり忙しくないし、Twitterを開けばいつも通りの人たちがいるし、興味分野も含めて意識的なところ・生活的なところはあまり変わらんなぁという感じです。

 

強く意識しているわけではないし、大学時代からもそうだったのですが、時間を上手く使いたい、豆知識なども含めて知らないことを少しずつ吸収していこうという意欲は、幸いながらまだ続いています。これからもこうでありたい。

 

思えば、大学在学中は周囲の環境に恵まれていたというのもあり、なんらかのモチベーションが常にありました。しかし、会社で働くようになってからは、なかなか勉強や研究といった行為に費やす時間を捻り出す・モチベーションを維持するというのは難しいのかもしれない、とも思っています。

 

ふと、給与をもらうようになって(もらう前から感じてはいたけど)、楽しいことでお金をもらえるのは良いなぁ、ついでに自分の仕事で世の中のなんらかが良くなればいいなぁと感じつつあります。年収ランキングとか、特に大学入試のようなスコアリングによる他者との比較はやりたくなってしまうのが人間なのでしょうけど、そこらへんからは早く離れるべきですね。ついでに物申すと年収なんて高くなっても税金がキツくなるし。共働きや資産収入の方がよっぽど大事や。ここらへんの話はまた別の記事を書こうかなと思っています。

 

とまあ色々書いてきたわけですが、結論としては卒業しても何も変わりません! オンラインで大学の人たちともつながれるし、(向上意識さえ保てば)普通に知識も拡張できるし。まあそれは私の環境が恵まれていた&大学でやってたことと今の仕事があまり変わらない(というかほぼ同じ)だからかもしれないですが。