意味の抽象化
言葉とは不思議なもので、1単語だけでは文脈を捨象してしまうんですね。
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どうもご無沙汰しています、あくあんです。
最近は卒論ばっかり書いているので久々にとりとめもなく思ったことを書こうかと思います。
突然ですが、最近以下の2つの記事を見て色々と思うことがありました。
どちらも非常に示唆的で、分析に満ちた素晴らしい記事です。ぜひご一読あれ。
個人的には、クリスマスエクスプレスの「失ったもの」とかの話には共感できないのですが...
さて、私がこの2つの記事を見て「文脈から出てくる概念」がいかに情報としてリッチかを感じました。ある事象についてその情報を他人に伝える際、ことば1つでは情報が捨象されすぎているということ、逆に十分に伝えるには様々な(もしかしたら文字情報のみならず音や匂い、視覚的刺激などのチャネルと合わさった)情報を付加して、その言葉の持つ様々な側面を表現する必要があるのかもしれません。1つ目の記事の「天才」という単語の陳腐さの主張や、2つ目の記事の様々な文脈要素の積み重ねという考察が如実にこれを表していると感じます。
思えば、言葉は様々な文脈の中の特徴的・典型的な部分のみが第1印象として想起されてしまいます。全く知らない初めての概念を説明するなど、表現が粗雑であっても良い場合などはこれでもいいのかもしれませんが、論評など表現を細かく適切に選ばないといけない場面では、1つ1つの言葉は様々な文脈を抽象化して存在し、それらが組み合わさって文章ができているという事実を認識する必要があると思われます。
例えば、「海外」という単語からは何を思い浮かびますか?「メガネ」だったら?
「日本と海外を比較すると〜」みたいなありがちで浅い文章なら大抵アメリカ、たまに中国、ヨーロッパ(ヨーロッパってどこでしょう?この言葉ではどの国まで入ると思いますか?)が席の山でしょう。「先進国」なんて言い方で思い浮かべるのは綺麗な都市だったりしませか?
「メガネ」という単語は単体だとニュートラルな意味かちょっと悪いくらいの意味になるでしょう。「メガネオタク」なんて最悪そうなイメージかも。でも、かっこいい人がメガネをかけたりしたらそれは「ファッションアイテム」として認識されるでしょう。
もちろんこのような(都合の良い)抽象化はその言葉に対するイメージの共通認識がないといけないのですが、不思議なことに多くの人は大体の言葉(自分の母語)について他の人とかなり近い共通認識を持っていることが多いと感じられます。しかし、同時に多くの人が言葉の意味をあまり深く考えないまま/言葉に付加されている情報を吟味しないままに情報を取っているので、ミスリーディングなニュースの拡散や炎上などが起こってしまうのかもしれません。
いわゆる「テンプレ」な主張には気を付けましょう、ということも深く感じますね。
動画と活字、コンテンツ
みなさまいかがお過ごしでしょうか。最近研究が楽しいような楽しくないようなで全然ブログを更新できていません。あくあんです。
久々にブログ記事を書いています。タイトルは「動画と活字、コンテンツ」です。
動画媒体と活字媒体 ---コンテンツ表現
「コンテンツ」と一口に言っても単なるニュースや天気予報から映画、ゲーム、SNSまで様々なものがあります。今回はこの話のうち、特にインターネットを介して利用できるコンテンツの表現方法についてざっくらばんに考えてみます。
現在主流のコンテンツ表現は(画像を含む)動画形式のもの、活字形式のもの、そして音声形式のものが挙げられるでしょう。代表的なものとしてYouTubeやTikTok、Yahoo!ニュースや日経電子版、各種音楽ストリーミングやPodcastなどが思い浮かびます。
これらによって表現されたコンテンツをどう人間が受け止めるかについて想像を膨らませると、前者二つは頭(「脳」だと語弊があるのでここでは頭と書きます)と目、それに対して後者は頭と耳という処理機構で情報が受け止められるとみえます。さらに話題を絞るため、音声オンリーのコンテンツはいったん置いときます。(ここでも様々な話ができると思うのですが...)
動画にせよ活字にせよ、人間が目から情報を入手することはたやすく、それゆえ視覚に訴えるコンテンツ表現は非常に有用な情報提供手段として利用されます。ではYouTubeと新聞やニュースとの違いはなんなのでしょう?
簡単に言えば、視覚に情報が入ってきたとき、それが何の前処理もせず頭が一気に情報処理するか、それともプロトコルに基づいて(文法や語義など共通認識に基づいて)頭が逐次的に情報処理するかの違いと言えるでしょう。
例えばたくさんの鳥が羽ばたいていく映像や画像を見れば私たちはその様子をすぐに捉えることができますが、文字ベースでその様子を表現された場合、私たちは文字をまず解釈し、頭の中でその映像を再構成することで理解する必要があります(もちろん、見たことがないものは想像で補うしかないわけですが)。したがって、映像や画像を表現するにはそちらに注目がいくような体験インターフェースが必要になり、文字媒体の表現ではフォントや背景色などのデザイン、頭の中で再構成しやすい見出しなどの工夫が必要になるでしょう。
感覚入力に対して複雑な処理をする人間
話を非常に簡単にして進めてきましたが、人間というものはもっとはるかに複雑な情報処理を行っていることはご存知でしょう。例えば文字媒体を読む際も音声を処理する機能を働かせていたり(文章を読むと無意識にのどが動くらしいので、風邪の時は文章読みまくるのは控えた方がいいらしいです)、煽り見出しやデマなどに代表されるようにインパクトのある文字や文章をまるで画像のように捉えてしまったりすることもあります。
しかしだからこそ、コンテンツの伝えたい要素をより明確に伝えるためのデザインは考察されるべきものになるでしょう。特にインターネットを介したサービスでは視覚的なインターフェースは他の媒体と比較したとき表現方法が多彩でかつ変更可能性が高いものなので、これからも人間の振る舞いに寄り添うようなデザイン変更が幾度となく行われるのでしょう。
終わりに
なんかまとまりがなく書いてしまいましたが、この辺りで終わりです。後は余談。
1. 個人的には動画より活字媒体のものが好きです。これは本当に人によって好みが分かれるでしょうし、なぜ好みが分かれるかは深く考える必要があるでしょう(が、私は詳しくないのでスルーします)。
2. 人間にとって視覚的な表現はとても分かりやすいと思いますが、次に分かりやすいのは文字や音声ではなく「体感」じゃないでしょうか。風を感じたり重さを感じたり、そのような現象から得られる情報というのも非常に多くの情報量を持っているような気がします。5Gも動画が一瞬でダウンロードできるとかケチなこと言ってないでこの辺りの表現を実現させるインフラとして頑張って欲しいですね。仮想空間で猫と触れ合える体験とか実現したら流行りそう。
3. 現代ではとても洗練されたコンテンツサービスが乱立しているので、消費者としては自分が一番好きな表現方法をしっかり見つけた上でサービスを利用したいところですね(おせっかい)
4. 少なくとも、2D映像や文章を表現する分にはスマホで十分な気がします。それ以上のことは難しいと思うけど(ARとかはスマホでは厳しい気がします。3D領域に特化させたグラスなどがやはり必要でしょう。)
演繹的学習と帰納的学習
最近色々と勉強していて思ったことをふとまとめます。この頃ブログも更新できてなかったし軽めな記事で復帰がてら、勉強法についてちょっとだけ。
演繹的学習と帰納的学習
非常に大雑把に言えば、何か新しいことを勉強するときにあらかじめ裏に存在する法則などを念頭に置いて個別具体例をつまんでいくのが演繹的学習、最低限の一般法則だけおさえて、細かい事象からその背後にある法則を少しずつ発見していくのが帰納的学習だと思っています。帰納的学習は回帰分析のように数ある点と点を結んでいく学習、一方演繹的学習はあらかじめ線を引き、その線の上や周辺にある点を確認していく学習ともいえるでしょうか。
たとえば数学の学習などは帰納的学習の側面が多く、経営学系などの学習は演繹的学習の色が強いと思います。もちろん演繹的学習と帰納的学習は厳密に分けられるわけでもないとは思いますが、分野によって適した学習のスタンスとしては確かに分かれていると感じます。
帰納的学習
1つ1つの細かい例を丁寧に見ていく勉強は時間がかかりますが、そのぶん知識の定着の度合いは大きく感じられるのが帰納的学習でしょう。プログラミングでコードを1行1行書き写したり、デッサンを何度も行ったり、何かを調べる際に計画書や決算書(有価証券報告書)などを最初から最後まで読み込んだり、判例を通して法律を知るなど、例を挙げればキリがないです。教育機関などではこちらの方が良いとされることが多い印象で、時間と体力がないとなかなか続けられません。意外かもしれないですが、資格試験に向けた勉強なども(問題を解く以上当然かもしれませんが)結果的に帰納的学習で進める方が効率が良いことが多いと感じられます。
演繹的学習
それに対して、演繹的学習は対象の分野をかなり細かい部分までフレームとして捉え、後から必要に応じて個別事例を見ていく進め方がメインです。早い段階で分野の全体像を見渡すことができますが、そこで学習を終えてしまうと宙ぶらりんな状態になってしまうので、そこから更なる理解を求めて帰納的学習に向かうか、別分野の知識と統合・比較をすることでよりメタ的に捉えにいく(これは俯瞰的学習とでもいうのでしょうか)などのことをしないと学習が身に付かず終えてしまうことがあるのでしょう。一方、その分野だけをさらっと雰囲気だけ知りたい場合やそこまで時間がかけられない場合だと、演繹的学習は良い手段であり、実際のところ人間が時間をかけて勉強できる(=帰納的学習ができる)分野はせいぜい限られているので、その点で演繹的学習の価値は大きいのだと思います。
考え1: 帰納的学習も、いつからでもできる(多分)
忙しい日常(大学生以降は大体の人がそうなのでしょうか?)の中ではなかなか帰納的学習をすることができないと世の中では考えられているし、少なくない人がやっぱり難しいと思い込んでいると思います。なのでそれこそ新書やネット記事などで演繹的学習で済ませてしまおうという人は多いのかもしれません。たとえば東大(院含む)を出た人でも、最後の帰納的学習が大学や大学院の入試に向けた勉強という人も少なくないと思います。しかし、それこそ広告のキャッチコピーではないですが、帰納的学習は時間がかかると言えども、熱意さえあればいつからでもできるのではないかなと(最近)考えています。スマートフォンなど細かい時間での学習をサポートしてくれるものは現代に溢れていますし、そのための教材なども豊富に提供されています(地域格差はどうしてもあるでしょうが...)。だからこそ、新しい知識で遊んで(自分の楽しさを求め少年少女の心を忘れないためには)自分の興味関心をしっかりと見つめて、熱意だけは忙しい中でも失わないようにしなければならないのかなと何とは言わない勉強を通して考えるようになりました。試験みたいにデッドラインがあるわけでも無いんだし、それこそ数年とか数十年かけても文句言う人はいないし(自分の心の中にはいるかも?)。
考え2: 学習を通して得られる連想力
なんとなーくですが帰納的学習は基本的な機械学習に近い感覚があります。教師データをたくさん突っこんで回帰させ分類器を作る的な手続きは帰納的学習と言えなくは無いはずです。
しかしなぜか機械と違って人間の脳は1つのインプットに対して複数のメタデータ(ラベルや付箋と言ってもいいでしょう)をメモみたいな感覚で勝手にペタッと貼っ付けてくれます。しかも文脈の外からでも。タピオカをカエルの卵と言ったり、天気の子を🔟🍄(洒落?)と書いても意味が通じてしまったりするのは人間の特徴でしょう。しかもこの文脈というのは文字情報だけでなく視覚や聴覚など五感を横断的に超えて存在します。なので、普段明示的には頭に登ってこなくとも、1つの単語に対し数十〜数百の文脈が貼り付いていると言っても過言では無いかもしれません。
帰納的学習はこの文脈飛躍と合わさることで分野内を横断的に構造化することを可能にしますし、演繹的学習と合わせれば多分野間の橋渡しをすることや新しく学ぶ分野のとっかかりを早く構築することができると考えられます。この辺を意識するとやや勉強も捗るのかなあと今日この頃は考えています。
追記
やはり言語化というのは難しくて、本当はもう少し深く考えていたはずなのですが話も広がらず2000字程度で収まってしまいました。ブログは書き続けないとダメですね…
Oculus Questを買った
タイトルの通りです。買った理由と開封の儀とちょっと遊んだ感想とその他思ったことをオタク特有の早口的ノリで書いていきます。
なぜ買ったか
まず界隈がTwitterで盛り上がっていたことに加え、こんな記事をみて面白そうと思ったわけです。
Oculus Questレビュー:これはVRにとってのWii Fitです | ギズモード・ジャパンwww.gizmodo.jp
Oculus Questレビュー。「なんて最高のデバイスなんだ」VR始めたいなら即買いレベル - Engadget 日本版japanese.engadget.com
それに加えて、WIREDという雑誌の夏号が「デジタルツイン」特集で、VR関係の話も多く興味をそそられました。
雑誌『WIRED』VOL.33 2019年6月発売。特集は「MIRROR WORLD」。|WIRED.jpwired.jp
真のVRは「人」を結びつける。ケーブルレスなヘッドセットの登場で、それが本当に実現した|WIRED.jpwired.jp
VRでも、人と人との「つながり」がすべてになる──フェイスブック化するOculusが目指す世界|WIRED.jpwired.jp
正直Facebookのものを買うのはあまり気が進みませんが、それでも十分に体験の価値があると考えました。
これ以降の話は高額出費に対する言い訳です。
TwitterのFFの人にこんなこともいわれました(Oculus Questってどうなんだろうという発言に対し)
(別に自分そんなvrvrしてるわけじゃないし有識者ではないなと思いながら)
— なまこ@院試🔥 (@StaPriEG2) May 7, 2019
VRchatとかバーチャルキャストとかに興味があるけどやったことはない&&まだHMD持ってない、なら今までのwinMR/Oculus GOなどなどが出たときと比べて今回のOculus Questは(個人で買う用としては)圧倒的に買いだとおもふ
また、自分はデザイン科学を中心に興味関心があって、座学だけじゃ面白くないかなとも思い、運動にもなるやろと考えつつ最後は圧倒的物欲で購入に踏み切りました。なんかかっこよさそうだしいいじゃん?(5万円の出費に目を背けながら)
— あくあん (@Aquan_Investor) July 11, 2019
開封の儀
あくあん on Twitter: "My new gear...!… "
My new gear...! pic.twitter.com/6Vg2eLPyT0
— あくあん (@Aquan_Investor) July 16, 2019
ということで買ってしまいましたOculus Quest。散財気持ちいいいいいとか言いながら本体だけで5万円が飛び去り来月のクレカ引き落としにビクビクしています。ガジェットオタクあるあるだね。カメラオタクの人が知らないうちにレンズを生やすようなもんよ。
さて待ちに待った開封の儀です。配達完了のメールを確認しウキウキしながらクッソ遠い柏キャンパスから帰宅し、部屋で箱を開封して行きます。
箱!
内容物の説明が側面に
特徴などが裏面に書かれてます。こういうとこの写真を残すあたり完全にオタク。
パッケージをスライドさせて
Oculusマークが刻印された箱を取り出します。
開けるぞ…!
降臨です…!
まずはヘッドセット(Oculus Quest)、そしてコントローラ(Oculus Touch)がお目見えです。
ヘッドセットのレンズ部分には案内カバーが。
音量調整ボタンとレンズ幅調整スライダが見えます。
Oculus Touch。ワイヤレスなのが最高ですね。WiiのリモコンやNintendo SwitchのJoy-Conみたいに安全用の紐がついてます。
さて、付属機器を見ていきましょう。いい感じの箱に入ってます。こちらもきちんとOculusの刻印が。
開けたところ。
メガネスペーサー。細い。
充電アダプタ。かわいい。
充電ケーブル。Type-Cなのが「分かってる」って感じですね。
さらにこんな箱が。
なんか乾電池が入ってる。
説明書や注意事項のアレが入ってた。
さて事前に調べておいたので乾電池をOculus Touchに入れる。スライドさせるんやろ…
と思ったら磁石でくっついててスライドせずともパカっと開いた
左のやつに電池を入れる。右も同様。
開封の儀は一通り終えたのでここからは鑑賞。
ワイヤレスでカッコいい…
黒に統一されてるのがいいですねえ
側面から写真を撮ってみる(なんかホコリついた...)
充電して、レンズのフィルムを取ってセットアップへ!
セットアップ
スマートフォンのアプリでこいつをセットアップする。愛しのiPhone XSにはすでにOculusアプリを入れてある。
Oculus Questを選んでiPhoneとペアリング。…のはずなのだが、この作業をApple WatchつけてAirPodsで音楽聴きながら近くにiPad置いてたせいで混線したのかなかなかペアリングが完了しない。AirPods片付けてヘッドセットとゼロ距離にiPhoneを置いたらペアリングできた。
ペアリング完了。コントローラの電池はもう入れてある。
言語を選んで安全ビデオをみて、いざ開始!!!!
感想とか
とりあえず色々試しました。チュートリアルから音ゲーのBeat Saber、卓球のRacket Fury、YouTube VRやVRChatなど。あと、内臓ブラウザのOculus Brouserも使いました。
感想としては...めっっちゃいい。
まずチュートリアルからかなり面白くて、これだけで十分遊べます。またガーディアンシステムといって遊ぶ際に範囲を設定し、その領域を出そうになると警告が出るシステムがあります。このため安全性も良し。ちなみに動き回るので裸足だと床との摩擦でだいぶしんどいので、ヨガマットとか筋トレマットとか敷いておくといいと思いました。
Beat Saberは簡単に言えばキリトになって音ゲーをします。アスナは俺が守る...とまでいかなくても、なかなかの運動量で爽快です。プレイ動画とかはYouTubeに大量にあるので参照してみてください。
ちなみに買って1週間ですがほぼクリアしました。ただ音ゲーはフルコンしなければやってないのと同様なのでこれから全曲フルコンしていこうと思います。
次にRacket Fury。かなりガチな卓球で、ほとんど違和感なくプレイできて楽しいです...が、対戦コンピュータが強すぎてなかなか勝てません。とりあえずPracticeモードを中心にやってます。ミスっても球を拾わずにすむのが最高で、このおかげで打つことに集中できますね。
YouTube VRやOculus Brouserは、だいたい200インチ?くらいのでかさの画面で動画やWebをみることができます。しかも寝ながら。ニート待った無しですね… また360度動画というのもあり、サーフィンやF1の様子を全方位見渡すことができます。これも体験の価値あり。
自分はあまりYouTubeをみないのですが、使う人が使えばそれこそ丸1日潰せるのでしょう。Netflixのアプリとかもあるっぽいので、動画好きな人はまじで廃人になれそう(ただ、そういう人はOculus Goのほうがいいかと思いますけど)
いやしかし、視覚聴覚に加えて手の感覚が再現できるだけでここまで楽しくなるとは驚きました。逆にいうと、足の問題はあるけど人間って頭と手だけあれば割と情報処理はなんとかなるのでは?と思ったりします。
OculusやったあとにNintendo Switchを起動すると(もちろん楽しいのですが)操作に指しか使わないあたり違う体験だなと思います。どっちもソフトハード共に優れているから最高に楽しいんだけど、VRはヤバい。視界がめっちゃ広いし奥行きあるから別世界に行った感がすごいですね...
あと、かなり運動になります。Apple Watchのアクティビティリングが早く完成するし、長時間やると汗だくになり翌日筋肉痛になります。YouTube VRで動画を参照しながら筋トレやヨガとかもできると思うし、楽しくエクササイズという意味で最高なのでは?となっています。みなさん買いましょう。
情報サービスを深掘りしてみる
私たちの周りには情報サービスがいっぱいあります。電気通信を利用してコミュニケーションを可能にするだけでなく、チケット予約や決済、音楽などのストリーミング、道案内などなど。情報技術やサービスは非常に便利で様々なことができますが、複雑すぎるゆえにその実態、本質がうまく掴めないことがあります。今回の記事ではそのような情報サービスをどうやって見るか私なりに考察したいと思います。
形態と機能に分解する
情報サービスは多くの場合、物理的な実体がなかったり、物理的実体を持っていてもアナログなそれとは異なったりしています。たとえば電子メールとハガキなどの手紙を比較してみると、前者はスマートフォンなどの情報処理端末内のアプリケーションなどで作成され、サーバなどさまざまな機器を経由し相手方に届きます。一方後者は何らかの紙媒体などに通信内容を記述し、郵便局などの通信サービスを通して相手方との通信を成立させます(通信というと違和感あるかもしれませんが、電気通信よりも広い意味で通信という言葉を使っています)。
それぞれ異なる複数の実体やサービスを利用していますが、一方で実現している機能は相手方に情報を伝達するという同一の機能です(その他の付随機能については後で話します)。つまり、似たようなものを考えるときに事物を形態(実体)と機能について分けると、サービスの本質的な部分が見えてきます。
なのでまずは簡単に、事物を形態(実体)と機能に分けて考えましょう。そしてそれぞれについて考察してみます。
機能の第1要件と第2要件
まず機能について見てみましょう。機能とは「実際に目的に資する、機能を持つものがやること」みたいなイメージです。鉛筆は紙(などの媒体)の上に視覚化を施す機能を持ち、消しゴムなら紙などに書かれた筆跡を消去する機能を持ちます。私たちがものを買うときや使うとき、本来求めているのはおおよそ機能のほうです。鉛筆を書くためではなく持つためだけに買うことは稀でしょう?
機能はさらに2つに分かれます。機能要件と非機能要件とか、第1、第2要件とか必須と任意なんて言われたりもします。ここではわかりやすさから第1、第2と呼びます。1つめは必ずなければならない機能で、バッグならものを収納する機能、靴なら足を包む機能、カメラなら静止画を撮る機能などが該当するでしょう。当然この機能がなければ製品/サービスとして成り立たないので、こちらは必須のものとなります。一方、2つ目の機能はあってもなくてもいいけど、あったら嬉しいなという感じの機能です。バッグならオシャレとか丈夫とか耐水性などでしょう。カメラなら持ちやすさとかSDカードなどストレージ拡張性とかですかね。一般に、2つ目の機能がその製品/サービスの価値を上昇/差別化すると言われています。第1の機能がなってないサービスとかは論外ですが、第2の機能はサービスによって様々だからです。(セキュリティがなってないけどきちんと使える決済サービスと、セキュリティがきちんとしてる上にきちんと使える決済サービスなら後者を取るでしょう?)
形態の特徴を考える
さて、形態の話です。こちらは人間(ユーザ)との接点として機能を表現する役割を持ち、設計・製造・管理の全プロセスに影響を与えます。それぞれ考えていきましょう。
人間との接点について。これはユーザに使ってもらえるかどうかを決定づける大きな因子で、いわゆるインターフェースというものです。インターフェースは機能を実現することでユーザと機能を橋渡しします。人間との相互作用をする唯一の場所なので、ここを上手く設計できないとなかなか受け入れられないものになってしまいます。
具体例としては、インクが出ないボールペンや、固まるゲームアプリ、収納容量がないバッグ、正しい時刻を表示しない時計などが挙げられるでしょう。どれも機能の第1要件(書く、楽しむ、収納する、時間を確認する)を適切に実現していません。さらにそれ以外にも、第2要件の中で重要なものを欠くと、受け入れられにくいものになるでしょう。持ちにくいボールペン、ゲーム開始のアイコンがどこかわからないアプリ、開けにくいバッグ、文字盤が見づらい時計など。機能を表現・実現するのは形態の方なので、こちらを受け入れられやすく設計しないとせっかくの機能も使われずに終わってしまいます。
ここまで書くとわかると思いますが、この先はUIの話に接続していきます。第1機能を踏まえた上でどのように上手く他の機能を持つように形態を設計するかがデザイナーの任務なのでしょう。ここではUIなどには詳しく突っ込まず、形態とはどんなものなのかだけ話をして終わります。
余談ですが、「こんな機能が欲しいんだよな〜」みたいな言い方って大体において形態の話をしています。ここに戻るボタンつけたら便利じゃない?とか、この服のこの部分にポケットがついてたらよくない?など。これらはただの機能表現手段に言及しているだけなので、もしかしたら別の表現手段があるかもしれないという認識を持たないといけません(もっとも、ポケットの代替となる機能ってなかなか難しそうですが...)。
情報サービスを考える -まず簡単に-
では情報サービスにおける形態と機能ってなんでしょう?情報サービスと一口に言っても、前述した通り音楽や予約サービスなど様々なものがあります。その中で共通することは?そもそも共通するものがあるのか?色々考えると...?
まずハードウェアの面から見ると、ソフトウェア上でアプリケーションに入力する、実行する(そのための準備も含む)・実行結果を表示するなどの機能を持ち、ディスプレイやキーボード、ディスク、センサーなどがそれを実現する形態を持つといっていいでしょう。ハードウェアに関しては確かに情報技術を実現する手段ではありますが、今回の議論とはちょこっと方向性が違うのでこのくらいにします。ハードウェアの議論では上にあげた機能をより(量的にもしくは質的に)向上させる、などの方向性になります。この辺りは別の機会に書けたらいいなぁ...
ソフトウェア的な議論で行くと、アプリそのものやアプリのデザインなどは形態とみていいでしょう。物理的なものではありませんが、アプリの内容(機能)を実現しているものとして形態と言えます。では機能は?機能はアプリケーションによって達成されるものです。道案内なら「利用者が目的の場所に移動できるように情報を取得する」、予約サービスなら「指定日時にある場所であるサービス(食事や映画など)を受けられるようにする」などが機能として定義できるでしょう。Twitterユーザーはあの青い鳥のアイコンにはあまり興味なくても、そのアプリの中で実現されるコミュニケーション(?)の機能を求めているわけですね。
もうちょっと深く考えてみる
情報サービスって色々できるし、道案内や予約サービスの機能を個別に書き下したからといって情報サービスの全体像がつかめるわけではありません。なので、もうちょっと深く情報理論や通信といったところから考えてみましょう。
情報とは何か?といったとき、端的に言えば情報量理論に基づくビット表示で様々なものを数値的に表現したものです。この技術によって世の中の様々なものが数学的に表現され、コンピュータの中で表現できるようになりました。そして、ビット表示の元々の背景でもある通信がコンピュータによって実現され、コンピュータ上で任意のクライアント間の「情報」の伝達が可能になったわけです。
つまるところ情報技術の中核は、表現と通信工学に基づく情報の伝達になります。それを取り囲むように入出力システム、オペレーティングシステム、信頼性技術、分散技術などの基幹が存在し、その上に応用として制御工学やデータベース工学、グラフィックスなどの話が存在します。また、表現論としてアルゴリズムや言語、離散数学など、効率的設計、効率的表現手段、インターフェースとしてハードウェア方面の工学などもあるでしょう。もちろんレイヤ間の抽象化などがある程度うまく効いているので、全部を知る必要はないんだと思いますが...(コンピュータサイエンスの全ての分野に精通してたらそれはとてもすごいことだとは思いますが)
「情報を伝達する」という第1機能と、容易に追加できる第2機能
ともかくこのように考えると、情報技術を用いた情報サービスの(第1)機能は、根本的にはどれも「情報を伝達する」という機能に還元できるはずです。道案内なら「ユーザの位置情報をサーバ側に伝達し」「サーバ側からそれに基づいた経路が伝達される」(道案内の経路計算とかは端末ベースなのかどうかは知りませんが)などで、予約サービスなら「予約すべき場所や空席数などの情報をユーザ側に伝達し」「伝達された情報をもとに予約先に予約された情報を伝達し」「受理結果をユーザ側に伝達する」などでしょう。つまり、「サーバとユーザの間で情報を伝達する」ことを応用していくと情報サービスになる、ということですね。音楽ストリーミングやカレンダー、決済、勤怠システムなども、見た目は異なっていても情報をある場所から別の場所へ移動する/保管するなどのことをしているわけです。
そして、ここからが情報技術「らしい」ところですが、ソフトウェアはコードを追加することで第2機能を拡張することができます(例えば椅子などは機能を追加しづらいですよね)。当然ながらサービスリリース後は追加可能な機能は限られてきますが、設計段階では様々な第2機能を組み込むことができるわけです。電子メールだったら送信時刻指定、タグ付け、メール本文の検索など、相手とのやりとり(第1機能)だけでない様々な機能を利用することができます。情報サービスでは本来の目的機能ではない、それぞれ別の機能を提供するアプリ間の連携や音声や振動などによる視覚表示だけでない情報表現機能など、多岐にわたる補助的な機能を(便利なように設計する範囲で)選択して設計することができます。サービス設計においてはこの第2機能がサービス体験全体の印象を大きく左右するので、こと情報サービスでは設計要素として欠かせない考慮事項になるわけです。
余談
とまあこれで記事に書きたいことはある程度書けたのですが、最後にいくつか続く話としてお金の話、法律の話などをします。
お金の話というかキャッシュレスの話になるのですが、なぜお金と情報サービスがこれほどまで親和性がいいかを考えてみます。
お金って元々は、金(きん、Gold)という形態そのものが価値という機能を付随的に持っていたからこそ、交換手段として様々な場所・場面で使われていました(金本位制)。それが管理通貨制度へ移行したことにより、形態自体にはほとんど価値がない紙や金属のお金が普及するようになりました。お金の機能自体は今も昔も変わりませんが、形態は紙幣や硬貨である必然性がなくなってしまいました。
それであれば(十分な信頼性などが担保された上で)お金を情報として表現し、形態を情報端末や処理端末(カードなど)の中のアプリケーションとして実現させ、交換手段として機能させれば、追跡性や管理性などの第2機能を追加しやすいより便利な形態になります。おそらくこれがキャッシュレスの起源、お金と情報サービスの親和性の高さの原因でしょう。同じことがチケットなどにも言えるでしょう(手形の派生形ですね)。
もう一つの話は法律です。法律って何なのでしょう。
法律はいわば世の中をうまく回す仕組みで、法律の目標はその「うまく回す」ことでしょう。憲法や民法、刑法など法律が各々担当する範囲で、法律が目指す価値を実現するためにうまく回すための機能を設定しています。しかし、法律はあくまでメタ的に「機能を設定する」機能を持つだけで、それを表現し実行するのは国会、立法府、裁判所、警察、消防、自治体、各私人などになっています。
となると、機能設定のための機能を持つことは分かったものの、形態が見えてきません。法律の形態って何でしょう?
私は条文そのものだと考えています。条文が機能表現のための形態になっている、ということです。条文さえあれば法律は形作られるとすれば、一般的にはその存在は紙でも石碑でもHTML形式でも構わないわけです。
しかし、こう考えると法律って実は、プログラミング言語に似てませんか?開発者から見ればソースファイルの機能を表現する形態は何行にも渡るコードに他なりません。厳密性などは自然言語と人工言語の違いがあるので一概に同じとは言えませんが、機能表現手段として両者は似通っていますね。
参考
キャッシュレス大戦争と各々の思惑を考える
7Payがいい感じに話題になってるので、せっかくだし普段キャッシュレスについてツイートしたり考えたりしてることをまとめようと思います。あくまで個人的なまとめだけど普段これ関連でツイートするのもあれだしここにまとめておけば後々楽かなと思ったので。
大前提:ユーザがキャッシュレスに求めること
そもそもなぜキャッシュレスにするのか?これはおそらく至極単純で、利便性の向上という目的があるでしょう。現金と電子決済の機能の違いのうち、ユーザが嬉しいと思う機能ってこの辺りじゃないでしょうか
- 財布を出さずに素早く決済できること
- ポイントや割引がつくこと
- 家計簿連携などサードパーティアプリとの連携ができること
- 提供元サービスとの連携でシナジーが発生すること
- スマートフォンなどの端末に決済機能を持たせること
1.は当たり前で、例えばFelica(Suicaなど)であれば一瞬で決済が完了します。QR/バーコード決済はSuicaなどに比べれば遅いかもしれませんが、それでも現金決済よりは早いことは疑いないでしょう。クーポン使いまくるとそうでもないこともありますが。
2.について、今のところこの点で各種QRコード決済サービスが消耗戦をしています。キャンペーンに乗っかることで、様々な割引やポイントバックを受けることができ、現在でもそれがユーザをQRコード決済に引き止める大きな力になっていると感じられます。
現在松屋で有効なクーポン/還元/割引
— へいほぅ (@5ebec) July 1, 2019
- 50円引き雨クーポン(本日24時まで)
- ネギたま牛野S/おろし牛野菜S 50円引きクーポン(7/16 15:00まで)
- メルペイ 200ポイント還元(7/31まで 1度のみ)
- d払い 20%還元(7/31まで)
- PayPayランチ 10%還元(7/31までの11-14時)
- Origami 2-3%OFF(9/30まで)
松屋マスターのFFの人の情報によるとこんな感じらしいです。私はここまでやる気はありませんがすごいですね...
各サービスの還元率などを見てたら目が回ったので、具体的な還元率や特典などは各自で調べてください。
3.について、これは電子決済ならではの機能でしょう。情報サービスによって無理せず機能が追加されたいい例ですね。LINE家計簿やMoneyForward、ZaimなどにクレジットカードやFelica、QRコード決済を連携させることで自動で家計簿記帳を可能にしたり、各種カード会社のアプリから今月のクレジットカード利用額を見たりなど、ユーザにとって「あると便利」な機能を実現しています。
4.について。特にメルペイや楽天Pay、PayPayなどに顕著ですが、同じ会社のプラットフォームの別サービスと組み合わせることで割引だけでなくポイントの統合など、自分が使っているプラットフォームを「より使いやすく」できるのも電子決済の魅力でしょう。2.と被る点は非常に多いですが、割引以外にもいろいろサービスがあるので一応別枠で機能として挙げました。クレジットカードを銀行口座と一緒に作ることで時間外手数料をゼロにしたり、自動車会社のクレカでロードサービスや保険サービスを得たり、その他にもマイルを貯めたり変わったところではガソリンを少し安く買えたりと、これまでも様々な利便性をユーザに提供しています。
5.について。ここがQRコードとかFelicaのメインポイントなのでしょうが、スマートウォッチでSuicaを使ったり、スマホからPayPayを起動したりなど、決済機能をある程度スマホなど情報処理端末に集約することで無駄にかさばるカード類を減らすことができるというメリットがあります。バッグや財布の中を整理する(スマホに押し込む)という点でユーザにとって楽なのかもしれませんね。本質的な解決にはなってない気がするんですが...
他にもSuicaとかはチャージを経費に計上できたりするのでいろんな技があるのですが、ここでは割愛。
企業の思惑
ユーザ側から見ると様々なメリットがあると感じられますが、サービスを展開する企業側から見るとどのようなメリットがあるか整理しておきます。FelicaやQRコード決済はなぜここまで乱立しているのかを考える上で以下のメリットは非常に示唆的でしょう。
- 自社サービスに決済を組み込むことでよりサービスを使ってもらう
- 顧客の決済に関する情報をデータとしてかき集めることができる
- 自社の決済サービス網を広げることで加盟店手数料を取れる
- 他の決済サービスを利用されることによる手数料を減らせる
...まあ私が考え付く範囲だとこのくらいしかないんですが、重要な点はどれも既存のポイントカードやクレジットカードを自社で展開するメリットと類似しているという点です。いわゆる紙媒体でハンコを押していく形式のポイントカードではこれらの機能はありませんが、Tポイントカードや自社ブランドクレジットカードとやっていることは同じでしょう。現金では追跡できない顧客情報を古くからのPOSデータで、比較的最近ではポイントカードで追うなどの戦略や、決済手数料の負担を自社サービス決済にすることで減らすなどの戦略はかつてからあり、そこに昨今のビックデータブームとかお馬鹿政府のQR決済推進とかがあってここまで色んなサービスが乱立してしまったのでしょう。各会社が共同でプロジェクトを進めたがらないのは世の常なので...
ついでにFelicaの秘話についてはこの本が詳しいです。興味ある方はどうぞ。
フェリカの真実 ソニーが技術開発に成功し、ビジネスで失敗した理由
- 作者: 立石泰則
- 出版社/メーカー: 草思社
- 発売日: 2010/11/13
- メディア: 新書
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なにはともあれ、結局新しく出てきたように見える決済機能は企業側から見ればあまり戦略としては変わらず、ただ流行に乗っているだけの話でしょう。正直、セキュリティインシデントみたいな炎上騒ぎ以外は企業関連だとあまり目新しいことはないです。データ漏洩もかつてTポイントとかやらかしてるし。
政府の思惑
最近のQR乱立で一番の黒幕は日本政府でしょう。政府がキャッシュレスを推進する理由として考えられるのは
- お金の流れを追跡することで税金の取りこぼしを減らす
- 造幣やATMなどのインフラコストを下げる
- いわゆる外国人観光客にとっての利便性向上
1. はマイナンバー制度にも同じことが言えるでしょう。また、マネーロンダリングに代表されるような、現金の追跡難度を利用した不正なお金の流れを減らすという意味でもこの政策の意味があるのだと思います。2.は意外と盲点ですが、造幣そのものの製造コストやATMの管理コスト、銀行などの警備コストは意外と馬鹿になりません。日本紙幣のような高度な透かし技術を乗せた紙幣の製造コストは上昇していくことは想像に難くないでしょうし、銀行には当然警備員が必要です。この辺りの社会インフラにかかるコストは(特に造幣など公的資金がかかっている部分には)可能なら減らすべきという圧力がかかるのは当然でしょう。1と2をある程度達成できるという点で「レスキャッシュ論」も話題になります(参考を見てください)。
3.については、観光による需要創出のアシストという面が大きいと思います。ただ、国内の人も戸惑うレベルの利便性じゃコケる可能性が高そうですね... 素直にSuicaを空港でデポジットすればええやんと思ったり。
技術に求められること
キャッシュレスの技術を実装しサービス化するのはほとんど私企業なので、今まで書いてきたことのうち、だいたいは企業の思惑が優先されてしまうのですが...
現金を取って代わるまでいかなくとも、最大公約数的に決済サービスに求められることってこのくらいじゃないですかね。
- 追跡が可能であること
- 情報のCIAが保たれていること
- 素早い決済が可能であること
- サービス連携が簡単であること
私見
お金とはすなわち交換手段ですが、歴史を見ても交換手段そのものが短期間で増えるという事態はなかったことでしょうし、種類が増えることによる弊害も多くあるでしょう。今後の方策とかは色々な議論を見ていくべきだと思っています。
利用者の私としては単純に早く決済できて自動記帳ができれば十分だと思ってます。Apple WatchのSuicaはいいぞ。
都会に住むからこそキャッシュレス生活を楽しめるわけですが(その点は認識すべきでしょう。柏キャンパスとかキャッシュレス難しいし)、今後都会の外に普及する可能性を考えると一足先に考えておく必要はあるのかなと思います。
ちなみにそもそも論なのですが、いくら割引されたとかどうとか、日常的に利用する場所でない限り買わないのが一番安いということを認識すべきだと思います。ポイントなどに踊らされる前に支出を見直した方が最終的な支出は減る気がします。
ビットコイン?あれは技術者と投機家のおもちゃですよ。
その他参考
ここら辺の記事や書籍が面白いです。
自動車へのまなざし1 -身体的観点からの安全設計案-
自動車について色々書いていこうと思います。1とタイトルにあるのは2とか3とかも書く予定だからです。
今回はドライバーの視点に立って、工学的なアプローチでどんなクルマがより「安全で」、「運転しやすい」のかを自分なりに考えていきます。2とか3ではたぶん自動車の社会的意義とかエンターテインメント・コンテンツとしてのクルマという感じで書こうかなと思っています(書くかどうか分からないけど)。
さて、なぜこのような記事を書こうと思ったかという背景からなのですが、ご存知の通り最近は自動車の事故が多くメディアで取り沙汰されています。
もちろんこのような悲しく痛ましい事故は過去にもあって、それらが高齢者の事故としてピックアップされてきたから一般の目に触れるようになったのでしょう。これと同時に高齢者の免許返納についての話題も多くなっていますが、それに関する記事はまた書きたいと思います。
事故をどう未然に防ぐかについて、制度設計からのアプローチ、都市設計的なアプローチ、自動車設計からのアプローチなど様々な方法があげられますが、今回は工学らしく「どうやったらより安全な自動車を作れるのか」という設計テーマで考えていきます。人間と機械という観点から最近ふと考えることがあったので、その勢いで書いていきます。
ちなみに、実現可能性とかそういうのは一切考えないただのコンセプト案です。性能と人間機能、それを基礎付ける実験などは別の文脈なので、そっちに興味ある人は産総研のホームページ(記事一番下にリンクあり)でもみてください。
この記事は機械系の授業「ヒューマンインターフェース」の復習という意味もちょこっと兼ねてます。
自動車と安全、その歴史
(ほんとは書きたかったのですがめんどくさくなったのと長くなりすぎるので省略)
運転時にドライバーが判断すべきことの多さ
現代の日本ではほとんどの場所で道路が整備され、自動車は走りやすくなりました。また自動車自体もオートマチック車に代表されるように、自動車の仕組みを詳しく知らなくても自動車免許を取り、普通に街中を走ることができます。
一方、ドライバーに任される判断はあまり減っていません。いつの時代も子供は飛び出してくるし、横断歩道じゃないところで無理やり横断しようとする人はいるし、前を走る車が急ブレーキをかけることはあるでしょう。それだけでなく、高速道路への合流、踏切の横断(先日も甚大な影響を与えた事故がありました)、道幅が狭い道路の走行など、注意や意識をしないといけない場面は多々あります。
ドライバーは運転時に注意を運転行動にフィードバックしますが、それを支援する機構を設計する際、自動車システムと人間の捉え方や、それを具現化する実装形態はどうあるべきなのかを考え、判断の負荷を減らすことは意義があることだと思われます。
自動車は「身体の拡張」
最近の自動車ってすごいですよね。自動ブレーキシステムが付いてたり、車線検知で走行すべき場所に勝手にハンドル切って補正してくれたり。車側が判断して良きに計らってくれます。
…想像するとわかると思うんですけど勝手に動作されたらなんか怖くないですか?なぜでしょう。
もう1つ、マニュアル車にこだわる人がよく言う「車を自分の意思で動かす」という言葉も示唆的でしょう。伝わる人には伝わると思うんですが、マニュアル車とオートマチック車ってDSやSwitchのマリオとスマホゲームのMario Runの違いみたいなものなのかもしれません。2つの差は、かなりの部分を自分で制御するのか、ある程度の操作を車側に任せるか、と言ったところでしょうか。
太字の部分で強調したところやこの節の題からもわかると思うのですが、自分は自動車を身体の延長と考えてます。たぶんというか確実にだいぶ前から言われていると思うのですが、人馬一体という言葉をMazdaが掲げるように、自動車というのは身体が制御する手足の先みたいなものなのだと思います。だからこそ勝手に動いたら違和感があるのでしょう(例えば自分の手が意志と関係なく動いたら怖いですものね。金縛りとかもいい例かも)。
しかし、私は完全な身体の延長ではない気がします。車椅子や松葉杖、メガネ、筆記用具や服などと違い、自動車は発揮する出力の(力学的な)大きさが人間のそれとは桁外れに大きいです。F1などの競技やトラック輸送に代表されるように、そのパワーによるメリットも大きいです。しかし、それと同時に悲惨な事故も引き起こしてしまうという特性があります。なので、自分の身体であるとともに、(自分だけでなく周囲の)安全にも配慮するよう、かなりギリギリまで人間の感覚を研ぎ澄ませるようなフィードバック機構を備え、いざとなったら自動制御する設計が必要になるでしょう(最も、国交省の規制により完全に停止するのはダメらしいんですが)。
人間の感覚特性と望ましい運転支援の形
さて本題です。安全な車をどのように設計するか、もっと具体的にいうと、「身体」の周囲にある危険な状況をどのように「脳」であるドライバーにフィードバックするか、それをどのように実装するかという点について考えていきましょう。ちなみに、危険な状況とはなにかということを抜きに話すと話が四方八方に飛んでしまうので、今回は縁石やその他障害物への衝突、踏み間違いによる急発進、車線に沿わない走行、詰めすぎている車間距離などに絞って考えます。
さて、どのように運転支援を実現させるか。どうせドライバーは人間なので、人間についてちょっと考えてみましょう。人間ってどうやって世界を認知しているんでしょう?(そもそも認知しているかとかの問題はまた別の記事で)
認知がいわゆる五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)で構成されていると考えると、これらと相互作用するように支援機構を考える必要があるでしょう。しかし、たとえば前を走る車との距離が近かったら口の中で辛い味がするとか、運転手席周辺が臭くなるとかではあまりよいフィードバックとは言えないと思うので(技術が進歩したらわかりませんが)、今のところは視覚、聴覚、触覚にフィードバック先を制限しておきます。
視覚でアプローチすると何ができるか?簡単なところだとフロントガラスをディスプレイにしたり、Aピラー(フロントガラス左右にある柱)の客室側を危険時に光るようにしたり、ダッシュボードあたりにディスプレイに近い何かを仕掛けたりする感じでしょうか。ちなみにフロントガラスのディスプレイ化はLexusとかがやってるらしいです。車体の前の方を光学迷彩にしたり、ARでいろいろと情報をフロントガラスに映し出すのもいいかもしれませんね。
…とここで重要なことに気づきます。情報多すぎやしないか?と。ただでさえ信号や前を走る車などいろいろ見てるのにこれ以上情報を増やして大丈夫なのでしょうか。確かに緊急時の判断は視覚も使うべきでしょうが、不用意に情報を増やしすぎると見間違いのリスクも出てきてしまいます。たとえばフロントガラスやAピラーが視覚的フィードバックを返そうとしたのにドライバーが車外でなにか起こったと勘違いすることはないのでしょうか…?
私は視覚的アプローチでの安全設計はちょっと疑問を持っていて、理由は上に書いた通りになります。むしろ、視覚だけに頼るわけではなく、聴覚や触覚にフィードバックさせつつ、緊急動作を要するときに視覚も利用するなどの方が効果的かつ負担が少なくなると思われます。
というわけでこの記事で着目する身体アプローチは「聴覚フィードバック」「触覚フィードバック」です。もちろん視覚は大事なのですが、すでに開発済みの機能も多く、研究事例もたくさんあるのでそっちを見た方が参考になります。なのでこの記事では省略します。
聴覚フィードバックも実は多くの車両に既に組み込まれています。「右前です」のように音声で危険をフィードバックするもの、前後ろそれぞれ独立にスピーカーを搭載し、ピピピッという音でフィードバックするものなどさまざまです。これらをヒントに考えてみましょう。
聴覚は音の大小や高低の認識だけでなく、音源がどのあたりにあるのかを判断することもできます。聴覚が知覚できるものはそこまで多くないかもしれないですが、これらを組み合わせたら結構いい感じじゃないでしょうか。というわけで3つくらい考えてみました。
- 前方との車間距離が小さすぎる時に立体音響で低音を発生させ、前に障害物があるように感じさせる
- 後方との車間距離が小さすぎる時に後ろ側で低音で接近するような音を発生させ、後ろから迫っているように感じさせる
- 駐車などで障害物に近づいた時、最初は後ろ全体、だんだん右後ろで音を出すなど危険箇所を少しずつ明確に意識させる
- 障害物接近のアラームについて車両の前後で音の高さを変える、障害物との距離の変化とともに音の連続・断続を調整する
うーんなんというかありきたりなものも混じってますがこんなところでしょうか。音色によって色々と状況を表現することは可能だと思いますが、あまりに多くの表現を音色に割り当てすぎるとドライバーが覚えられないなどの問題が起こると思うのでそこは踏み込みませんでした。確か4あたりはどこかで実装されてた気もしますが... そのあたりの製品知識は詳しくないのでネットサーフィンがてらあとで調べますかね。
さて、触覚なのですが、触覚フィードバックは現在の自動車にはあまり組み込まれていないように感じます(もしあったら教えてほしい、クルマオタクの人!)。
なんとなくの感覚でわかると思いますが、触覚って部位によって感度が全然違います。指先とかはかなり正確に触れている部分がわかったり振動などを検知したりできますが、脚とか背中あたりだと細かい識別は難しいと思います。
これを視覚的に表したのが脳の中の小人というもので、脳科学の分野で体性感覚野と呼ばれるものです。
ここからわかる通り、触覚フィードバックであれば手や顔などがフィードバック先としてたぶん適切でしょう。ただ、顔に関しては反応が過敏すぎる可能性と危険性からやめたほうがいいかもしれません。緊急性が高いものは手などに、そうでないものは脚や腰などにフィードバックを流すというのも案として良いかもしれません。そうするとこんな感じのデザインになるのでしょうか。
- 左右に接近する障害物や走行物があると左右独立にハンドルが振動する
- 適切な車間距離をとるようハンドルを前後方向に角度を変化させる
- ハンドルの回転不足/過剰を回転方向(もしくはその逆)に加速度をわずかにつける
- 車線に近づくと左右方向にシートがわずかに傾く
- アクセルの重さを変えることで急加速を防ぐ(おそらく軽くする方がいい?)
意外と考えるのも難しいですが、これを機械システムに落とし込むというのもとても難しそうです。ただ、上手いことできたらより一層クルマが身体の延長として感じられそうですね。
ちなみに、五感はそれぞれが相互作用し脳が全体をうまい感じに処理しているというのが実際に近いらしいですが、今回はめんどくさいのでそこまで踏み込んではいません。しかし、この発展的な話は面白いと思うのであとで記事にしたいと思います(書くとは言っていない)。要素分解的に考えて個別の感覚ごとにアプローチするのはそもそも効果的なのかどうかなどの検討も必要なのですが、それをするには医学や身体科学、心理学の知識が足りなさすぎますね...
論文とかいろいろ
誰かしらこんな感じの研究してるやろと思って色々調べてみました。触覚に関してはあまり多くないですが、流し読み程度でも面白かったので備忘録として残しておきます。
CiNii 論文 - 自動車の運転支援システムが目指すべき姿について
JAF|ドライバーを支援する最新システム「ASV(先進安全自動車)の紹介」
前後の危険に対する自動車用触覚警報システムに関する基礎的研究
自動車運転時の聴覚情報への対応課題がドライバーに与える影響
( https://www.iatss.or.jp/common/pdf/publication/iatss-review/30-3-10.pdf )
山積する問題とデザインの面白さ
自動車のシステムがいかにうまく機能しても、たとえば片手ハンドル操作や脇見運転などの問題、運転中の発作などの問題は当然対処できないし、自動車の価格が高ければそもそも売れずに道路の安全性に貢献することすらできないでしょう。また、前述の通り真の危険時には自動制御も必要になってきて、身体感覚感との境界を考える必要もあると思います。自動車など複雑な構造物を社会でうまく機能させるには、実験や多分野の知見を集めないといけないのかなと感じます。
この記事を書いてて思ったのは、やっぱりデザインは面白いなぁということです。ここでいうデザインは事業や情報システム、構造物のようなデザインではなく、利用者側からのデザイン、いわゆるUXデザインです。最近はVRみたいな表現手段も非常に具体的でわかりやすく、ストレートにデザインを反映させて楽しめるので面白いなぁとか思ってます。
色々思ったことを書き散らした上に最後の方はなんか微妙に話が散乱してしまいましたが、普段いろいろ自動車についてとかUXについて考えることがあったので、満足とまでいかなくてもそれなりにしっかりまとめられたので楽しかったです。次回とかも書ければ書きます。
参考
- クルマはなぜ走るのか 御堀 直嗣著
- スーパーヒューマン誕生! 稲見昌彦著
- 融けるデザイン 渡邊恵太著
- 誰のためのデザイン? D.A. ノーマン著
- 発想する会社! トム・ケリー著
- 産総研:自動車ヒューマンファクター研究センター:概要