自動車へのまなざし1 -身体的観点からの安全設計案-
自動車について色々書いていこうと思います。1とタイトルにあるのは2とか3とかも書く予定だからです。
今回はドライバーの視点に立って、工学的なアプローチでどんなクルマがより「安全で」、「運転しやすい」のかを自分なりに考えていきます。2とか3ではたぶん自動車の社会的意義とかエンターテインメント・コンテンツとしてのクルマという感じで書こうかなと思っています(書くかどうか分からないけど)。
さて、なぜこのような記事を書こうと思ったかという背景からなのですが、ご存知の通り最近は自動車の事故が多くメディアで取り沙汰されています。
もちろんこのような悲しく痛ましい事故は過去にもあって、それらが高齢者の事故としてピックアップされてきたから一般の目に触れるようになったのでしょう。これと同時に高齢者の免許返納についての話題も多くなっていますが、それに関する記事はまた書きたいと思います。
事故をどう未然に防ぐかについて、制度設計からのアプローチ、都市設計的なアプローチ、自動車設計からのアプローチなど様々な方法があげられますが、今回は工学らしく「どうやったらより安全な自動車を作れるのか」という設計テーマで考えていきます。人間と機械という観点から最近ふと考えることがあったので、その勢いで書いていきます。
ちなみに、実現可能性とかそういうのは一切考えないただのコンセプト案です。性能と人間機能、それを基礎付ける実験などは別の文脈なので、そっちに興味ある人は産総研のホームページ(記事一番下にリンクあり)でもみてください。
この記事は機械系の授業「ヒューマンインターフェース」の復習という意味もちょこっと兼ねてます。
自動車と安全、その歴史
(ほんとは書きたかったのですがめんどくさくなったのと長くなりすぎるので省略)
運転時にドライバーが判断すべきことの多さ
現代の日本ではほとんどの場所で道路が整備され、自動車は走りやすくなりました。また自動車自体もオートマチック車に代表されるように、自動車の仕組みを詳しく知らなくても自動車免許を取り、普通に街中を走ることができます。
一方、ドライバーに任される判断はあまり減っていません。いつの時代も子供は飛び出してくるし、横断歩道じゃないところで無理やり横断しようとする人はいるし、前を走る車が急ブレーキをかけることはあるでしょう。それだけでなく、高速道路への合流、踏切の横断(先日も甚大な影響を与えた事故がありました)、道幅が狭い道路の走行など、注意や意識をしないといけない場面は多々あります。
ドライバーは運転時に注意を運転行動にフィードバックしますが、それを支援する機構を設計する際、自動車システムと人間の捉え方や、それを具現化する実装形態はどうあるべきなのかを考え、判断の負荷を減らすことは意義があることだと思われます。
自動車は「身体の拡張」
最近の自動車ってすごいですよね。自動ブレーキシステムが付いてたり、車線検知で走行すべき場所に勝手にハンドル切って補正してくれたり。車側が判断して良きに計らってくれます。
…想像するとわかると思うんですけど勝手に動作されたらなんか怖くないですか?なぜでしょう。
もう1つ、マニュアル車にこだわる人がよく言う「車を自分の意思で動かす」という言葉も示唆的でしょう。伝わる人には伝わると思うんですが、マニュアル車とオートマチック車ってDSやSwitchのマリオとスマホゲームのMario Runの違いみたいなものなのかもしれません。2つの差は、かなりの部分を自分で制御するのか、ある程度の操作を車側に任せるか、と言ったところでしょうか。
太字の部分で強調したところやこの節の題からもわかると思うのですが、自分は自動車を身体の延長と考えてます。たぶんというか確実にだいぶ前から言われていると思うのですが、人馬一体という言葉をMazdaが掲げるように、自動車というのは身体が制御する手足の先みたいなものなのだと思います。だからこそ勝手に動いたら違和感があるのでしょう(例えば自分の手が意志と関係なく動いたら怖いですものね。金縛りとかもいい例かも)。
しかし、私は完全な身体の延長ではない気がします。車椅子や松葉杖、メガネ、筆記用具や服などと違い、自動車は発揮する出力の(力学的な)大きさが人間のそれとは桁外れに大きいです。F1などの競技やトラック輸送に代表されるように、そのパワーによるメリットも大きいです。しかし、それと同時に悲惨な事故も引き起こしてしまうという特性があります。なので、自分の身体であるとともに、(自分だけでなく周囲の)安全にも配慮するよう、かなりギリギリまで人間の感覚を研ぎ澄ませるようなフィードバック機構を備え、いざとなったら自動制御する設計が必要になるでしょう(最も、国交省の規制により完全に停止するのはダメらしいんですが)。
人間の感覚特性と望ましい運転支援の形
さて本題です。安全な車をどのように設計するか、もっと具体的にいうと、「身体」の周囲にある危険な状況をどのように「脳」であるドライバーにフィードバックするか、それをどのように実装するかという点について考えていきましょう。ちなみに、危険な状況とはなにかということを抜きに話すと話が四方八方に飛んでしまうので、今回は縁石やその他障害物への衝突、踏み間違いによる急発進、車線に沿わない走行、詰めすぎている車間距離などに絞って考えます。
さて、どのように運転支援を実現させるか。どうせドライバーは人間なので、人間についてちょっと考えてみましょう。人間ってどうやって世界を認知しているんでしょう?(そもそも認知しているかとかの問題はまた別の記事で)
認知がいわゆる五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)で構成されていると考えると、これらと相互作用するように支援機構を考える必要があるでしょう。しかし、たとえば前を走る車との距離が近かったら口の中で辛い味がするとか、運転手席周辺が臭くなるとかではあまりよいフィードバックとは言えないと思うので(技術が進歩したらわかりませんが)、今のところは視覚、聴覚、触覚にフィードバック先を制限しておきます。
視覚でアプローチすると何ができるか?簡単なところだとフロントガラスをディスプレイにしたり、Aピラー(フロントガラス左右にある柱)の客室側を危険時に光るようにしたり、ダッシュボードあたりにディスプレイに近い何かを仕掛けたりする感じでしょうか。ちなみにフロントガラスのディスプレイ化はLexusとかがやってるらしいです。車体の前の方を光学迷彩にしたり、ARでいろいろと情報をフロントガラスに映し出すのもいいかもしれませんね。
…とここで重要なことに気づきます。情報多すぎやしないか?と。ただでさえ信号や前を走る車などいろいろ見てるのにこれ以上情報を増やして大丈夫なのでしょうか。確かに緊急時の判断は視覚も使うべきでしょうが、不用意に情報を増やしすぎると見間違いのリスクも出てきてしまいます。たとえばフロントガラスやAピラーが視覚的フィードバックを返そうとしたのにドライバーが車外でなにか起こったと勘違いすることはないのでしょうか…?
私は視覚的アプローチでの安全設計はちょっと疑問を持っていて、理由は上に書いた通りになります。むしろ、視覚だけに頼るわけではなく、聴覚や触覚にフィードバックさせつつ、緊急動作を要するときに視覚も利用するなどの方が効果的かつ負担が少なくなると思われます。
というわけでこの記事で着目する身体アプローチは「聴覚フィードバック」「触覚フィードバック」です。もちろん視覚は大事なのですが、すでに開発済みの機能も多く、研究事例もたくさんあるのでそっちを見た方が参考になります。なのでこの記事では省略します。
聴覚フィードバックも実は多くの車両に既に組み込まれています。「右前です」のように音声で危険をフィードバックするもの、前後ろそれぞれ独立にスピーカーを搭載し、ピピピッという音でフィードバックするものなどさまざまです。これらをヒントに考えてみましょう。
聴覚は音の大小や高低の認識だけでなく、音源がどのあたりにあるのかを判断することもできます。聴覚が知覚できるものはそこまで多くないかもしれないですが、これらを組み合わせたら結構いい感じじゃないでしょうか。というわけで3つくらい考えてみました。
- 前方との車間距離が小さすぎる時に立体音響で低音を発生させ、前に障害物があるように感じさせる
- 後方との車間距離が小さすぎる時に後ろ側で低音で接近するような音を発生させ、後ろから迫っているように感じさせる
- 駐車などで障害物に近づいた時、最初は後ろ全体、だんだん右後ろで音を出すなど危険箇所を少しずつ明確に意識させる
- 障害物接近のアラームについて車両の前後で音の高さを変える、障害物との距離の変化とともに音の連続・断続を調整する
うーんなんというかありきたりなものも混じってますがこんなところでしょうか。音色によって色々と状況を表現することは可能だと思いますが、あまりに多くの表現を音色に割り当てすぎるとドライバーが覚えられないなどの問題が起こると思うのでそこは踏み込みませんでした。確か4あたりはどこかで実装されてた気もしますが... そのあたりの製品知識は詳しくないのでネットサーフィンがてらあとで調べますかね。
さて、触覚なのですが、触覚フィードバックは現在の自動車にはあまり組み込まれていないように感じます(もしあったら教えてほしい、クルマオタクの人!)。
なんとなくの感覚でわかると思いますが、触覚って部位によって感度が全然違います。指先とかはかなり正確に触れている部分がわかったり振動などを検知したりできますが、脚とか背中あたりだと細かい識別は難しいと思います。
これを視覚的に表したのが脳の中の小人というもので、脳科学の分野で体性感覚野と呼ばれるものです。
ここからわかる通り、触覚フィードバックであれば手や顔などがフィードバック先としてたぶん適切でしょう。ただ、顔に関しては反応が過敏すぎる可能性と危険性からやめたほうがいいかもしれません。緊急性が高いものは手などに、そうでないものは脚や腰などにフィードバックを流すというのも案として良いかもしれません。そうするとこんな感じのデザインになるのでしょうか。
- 左右に接近する障害物や走行物があると左右独立にハンドルが振動する
- 適切な車間距離をとるようハンドルを前後方向に角度を変化させる
- ハンドルの回転不足/過剰を回転方向(もしくはその逆)に加速度をわずかにつける
- 車線に近づくと左右方向にシートがわずかに傾く
- アクセルの重さを変えることで急加速を防ぐ(おそらく軽くする方がいい?)
意外と考えるのも難しいですが、これを機械システムに落とし込むというのもとても難しそうです。ただ、上手いことできたらより一層クルマが身体の延長として感じられそうですね。
ちなみに、五感はそれぞれが相互作用し脳が全体をうまい感じに処理しているというのが実際に近いらしいですが、今回はめんどくさいのでそこまで踏み込んではいません。しかし、この発展的な話は面白いと思うのであとで記事にしたいと思います(書くとは言っていない)。要素分解的に考えて個別の感覚ごとにアプローチするのはそもそも効果的なのかどうかなどの検討も必要なのですが、それをするには医学や身体科学、心理学の知識が足りなさすぎますね...
論文とかいろいろ
誰かしらこんな感じの研究してるやろと思って色々調べてみました。触覚に関してはあまり多くないですが、流し読み程度でも面白かったので備忘録として残しておきます。
CiNii 論文 - 自動車の運転支援システムが目指すべき姿について
JAF|ドライバーを支援する最新システム「ASV(先進安全自動車)の紹介」
前後の危険に対する自動車用触覚警報システムに関する基礎的研究
自動車運転時の聴覚情報への対応課題がドライバーに与える影響
( https://www.iatss.or.jp/common/pdf/publication/iatss-review/30-3-10.pdf )
山積する問題とデザインの面白さ
自動車のシステムがいかにうまく機能しても、たとえば片手ハンドル操作や脇見運転などの問題、運転中の発作などの問題は当然対処できないし、自動車の価格が高ければそもそも売れずに道路の安全性に貢献することすらできないでしょう。また、前述の通り真の危険時には自動制御も必要になってきて、身体感覚感との境界を考える必要もあると思います。自動車など複雑な構造物を社会でうまく機能させるには、実験や多分野の知見を集めないといけないのかなと感じます。
この記事を書いてて思ったのは、やっぱりデザインは面白いなぁということです。ここでいうデザインは事業や情報システム、構造物のようなデザインではなく、利用者側からのデザイン、いわゆるUXデザインです。最近はVRみたいな表現手段も非常に具体的でわかりやすく、ストレートにデザインを反映させて楽しめるので面白いなぁとか思ってます。
色々思ったことを書き散らした上に最後の方はなんか微妙に話が散乱してしまいましたが、普段いろいろ自動車についてとかUXについて考えることがあったので、満足とまでいかなくてもそれなりにしっかりまとめられたので楽しかったです。次回とかも書ければ書きます。
参考
- クルマはなぜ走るのか 御堀 直嗣著
- スーパーヒューマン誕生! 稲見昌彦著
- 融けるデザイン 渡邊恵太著
- 誰のためのデザイン? D.A. ノーマン著
- 発想する会社! トム・ケリー著
- 産総研:自動車ヒューマンファクター研究センター:概要