バズる写真と自分が満足する写真
どうも、あくあんです。
今日はだいぶ内容がまとまってない、とりとめもない内容です。
私は、一般に写真が評価されるときに
- 普段見ている(つまらない)景色
- 遠くにあって見えないもの
- SNSでバズっている写真
が評価指標に隠れていると思ってまして、これを
- つまらない日常のワンシーンをうまく切り取る
- 圧縮効果による表現
- ボケをうまく使う
- 立体感を出す
- 遠くの被写体を望遠などで引き寄せ、目で見えない世界を映す
- マクロ撮影
- 望遠撮影(野鳥、スポーツなど)
- 一目でその写真の刺激がわかるように画を作る
などのテクニックによって、評価指標をハックし、「綺麗な」「すごい」写真を作ることができるのかなぁと思っています(もちろん、綺麗なすごい写真はこの限りではありません)。逆に言えば、ある程度の手法を覚えて型に嵌めることができれば、バズりやすい写真になるのでしょう。むしろ、このような作品創作こそがカメラ趣味の王道なのかもしれません。美しい写真を撮るために遠征したりする人もいるくらいなのですから。
一方で、私が自分で写真を撮る、という際には、このように作品として昇華させるのではなく、自分の思い出の補完として撮っているという節があります。なので、おそらく私の写真を他の人が見てもそこまでピンとくるわけではないのかもしれないですが、私はその撮った時のこと(その時の気温や雰囲気、会話など)を思い出せる、という点で、作品づくりという撮影スタイルではないのかもしれません。
このような一人称視点での写真というのはSNSではバズりにくいですし、説明も難しいものです。さらにそのような写真を評価する、というのはなおさら難しいでしょう。構図が云々レンズが云々の話ではないのですから。
ただ、このような一人称での視点を読み手に想起させることができたなら、それはすごい写真家なのかな、とも思います。いわゆる有名な写真家というのは、そういう「想起させる発見力・伝達力」がズバ抜けているのかもしれないですね。
蛇足。ただ単純に自分の満足するための写真を撮るだけであれば、望遠域はマイクロフォーサーズやコンデジでいいのかもしれないですし、そもそもそこまで高い機材を買う必要はないのかもしれないですね。究極的にはスマホでもいいわけで。ただそこは「写真趣味」ではなく「カメラ機材趣味」という、意味もなく高い機材を所有して満足感に浸るという(愚かな)行為を冒涜する部分もあるので、それらを総合した「カメラ趣味」というのは難しいのでしょう...