あくあん's blog

つらつらと書きます。最近はカメラの話。書評やガジェットの話なども。

演繹的学習と帰納的学習

最近色々と勉強していて思ったことをふとまとめます。この頃ブログも更新できてなかったし軽めな記事で復帰がてら、勉強法についてちょっとだけ。

 

演繹的学習と帰納的学習

非常に大雑把に言えば、何か新しいことを勉強するときにあらかじめ裏に存在する法則などを念頭に置いて個別具体例をつまんでいくのが演繹的学習、最低限の一般法則だけおさえて、細かい事象からその背後にある法則を少しずつ発見していくのが帰納的学習だと思っています。帰納的学習は回帰分析のように数ある点と点を結んでいく学習、一方演繹的学習はあらかじめ線を引き、その線の上や周辺にある点を確認していく学習ともいえるでしょうか。

 

たとえば数学の学習などは帰納的学習の側面が多く、経営学系などの学習は演繹的学習の色が強いと思います。もちろん演繹的学習と帰納的学習は厳密に分けられるわけでもないとは思いますが、分野によって適した学習のスタンスとしては確かに分かれていると感じます。

 

帰納的学習

 1つ1つの細かい例を丁寧に見ていく勉強は時間がかかりますが、そのぶん知識の定着の度合いは大きく感じられるのが帰納的学習でしょう。プログラミングでコードを1行1行書き写したり、デッサンを何度も行ったり、何かを調べる際に計画書や決算書(有価証券報告書)などを最初から最後まで読み込んだり、判例を通して法律を知るなど、例を挙げればキリがないです。教育機関などではこちらの方が良いとされることが多い印象で、時間と体力がないとなかなか続けられません。意外かもしれないですが、資格試験に向けた勉強なども(問題を解く以上当然かもしれませんが)結果的に帰納的学習で進める方が効率が良いことが多いと感じられます。

 

演繹的学習

 それに対して、演繹的学習は対象の分野をかなり細かい部分までフレームとして捉え、後から必要に応じて個別事例を見ていく進め方がメインです。早い段階で分野の全体像を見渡すことができますが、そこで学習を終えてしまうと宙ぶらりんな状態になってしまうので、そこから更なる理解を求めて帰納的学習に向かうか、別分野の知識と統合・比較をすることでよりメタ的に捉えにいく(これは俯瞰的学習とでもいうのでしょうか)などのことをしないと学習が身に付かず終えてしまうことがあるのでしょう。一方、その分野だけをさらっと雰囲気だけ知りたい場合やそこまで時間がかけられない場合だと、演繹的学習は良い手段であり、実際のところ人間が時間をかけて勉強できる(=帰納的学習ができる)分野はせいぜい限られているので、その点で演繹的学習の価値は大きいのだと思います。

 

考え1: 帰納的学習も、いつからでもできる(多分)

忙しい日常(大学生以降は大体の人がそうなのでしょうか?)の中ではなかなか帰納的学習をすることができないと世の中では考えられているし、少なくない人がやっぱり難しいと思い込んでいると思います。なのでそれこそ新書やネット記事などで演繹的学習で済ませてしまおうという人は多いのかもしれません。たとえば東大(院含む)を出た人でも、最後の帰納的学習が大学や大学院の入試に向けた勉強という人も少なくないと思います。しかし、それこそ広告のキャッチコピーではないですが、帰納的学習は時間がかかると言えども、熱意さえあればいつからでもできるのではないかなと(最近)考えています。スマートフォンなど細かい時間での学習をサポートしてくれるものは現代に溢れていますし、そのための教材なども豊富に提供されています(地域格差はどうしてもあるでしょうが...)。だからこそ、新しい知識で遊んで(自分の楽しさを求め少年少女の心を忘れないためには)自分の興味関心をしっかりと見つめて、熱意だけは忙しい中でも失わないようにしなければならないのかなと何とは言わない勉強を通して考えるようになりました。試験みたいにデッドラインがあるわけでも無いんだし、それこそ数年とか数十年かけても文句言う人はいないし(自分の心の中にはいるかも?)。

 

考え2: 学習を通して得られる連想力

なんとなーくですが帰納的学習は基本的な機械学習に近い感覚があります。教師データをたくさん突っこんで回帰させ分類器を作る的な手続きは帰納的学習と言えなくは無いはずです。

しかしなぜか機械と違って人間の脳は1つのインプットに対して複数のメタデータ(ラベルや付箋と言ってもいいでしょう)をメモみたいな感覚で勝手にペタッと貼っ付けてくれます。しかも文脈の外からでも。タピオカをカエルの卵と言ったり、天気の子を🔟🍄(洒落?)と書いても意味が通じてしまったりするのは人間の特徴でしょう。しかもこの文脈というのは文字情報だけでなく視覚や聴覚など五感を横断的に超えて存在します。なので、普段明示的には頭に登ってこなくとも、1つの単語に対し数十〜数百の文脈が貼り付いていると言っても過言では無いかもしれません。

帰納的学習はこの文脈飛躍と合わさることで分野内を横断的に構造化することを可能にしますし、演繹的学習と合わせれば多分野間の橋渡しをすることや新しく学ぶ分野のとっかかりを早く構築することができると考えられます。この辺を意識するとやや勉強も捗るのかなあと今日この頃は考えています。

 

追記

やはり言語化というのは難しくて、本当はもう少し深く考えていたはずなのですが話も広がらず2000字程度で収まってしまいました。ブログは書き続けないとダメですね…