あくあん's blog

つらつらと書きます。最近はカメラの話。書評やガジェットの話なども。

動画と活字、コンテンツ

みなさまいかがお過ごしでしょうか。最近研究が楽しいような楽しくないようなで全然ブログを更新できていません。あくあんです。

久々にブログ記事を書いています。タイトルは「動画と活字、コンテンツ」です。

  

動画媒体と活字媒体 ---コンテンツ表現

「コンテンツ」と一口に言っても単なるニュースや天気予報から映画、ゲーム、SNSまで様々なものがあります。今回はこの話のうち、特にインターネットを介して利用できるコンテンツの表現方法についてざっくらばんに考えてみます。

現在主流のコンテンツ表現は(画像を含む)動画形式のもの、活字形式のもの、そして音声形式のものが挙げられるでしょう。代表的なものとしてYouTubeTikTokYahoo!ニュースや日経電子版、各種音楽ストリーミングやPodcastなどが思い浮かびます。

 

これらによって表現されたコンテンツをどう人間が受け止めるかについて想像を膨らませると、前者二つは頭(「脳」だと語弊があるのでここでは頭と書きます)と目、それに対して後者は頭と耳という処理機構で情報が受け止められるとみえます。さらに話題を絞るため、音声オンリーのコンテンツはいったん置いときます。(ここでも様々な話ができると思うのですが...)

 

動画にせよ活字にせよ、人間が目から情報を入手することはたやすく、それゆえ視覚に訴えるコンテンツ表現は非常に有用な情報提供手段として利用されます。ではYouTubeと新聞やニュースとの違いはなんなのでしょう?

簡単に言えば、視覚に情報が入ってきたとき、それが何の前処理もせず頭が一気に情報処理するか、それともプロトコルに基づいて(文法や語義など共通認識に基づいて)頭が逐次的に情報処理するかの違いと言えるでしょう。

 

「鳥 群れ」の画像検索結果

例えばたくさんの鳥が羽ばたいていく映像や画像を見れば私たちはその様子をすぐに捉えることができますが、文字ベースでその様子を表現された場合、私たちは文字をまず解釈し、頭の中でその映像を再構成することで理解する必要があります(もちろん、見たことがないものは想像で補うしかないわけですが)。したがって、映像や画像を表現するにはそちらに注目がいくような体験インターフェースが必要になり、文字媒体の表現ではフォントや背景色などのデザイン、頭の中で再構成しやすい見出しなどの工夫が必要になるでしょう。

 

感覚入力に対して複雑な処理をする人間

話を非常に簡単にして進めてきましたが、人間というものはもっとはるかに複雑な情報処理を行っていることはご存知でしょう。例えば文字媒体を読む際も音声を処理する機能を働かせていたり(文章を読むと無意識にのどが動くらしいので、風邪の時は文章読みまくるのは控えた方がいいらしいです)、煽り見出しやデマなどに代表されるようにインパクトのある文字や文章をまるで画像のように捉えてしまったりすることもあります。

しかしだからこそ、コンテンツの伝えたい要素をより明確に伝えるためのデザインは考察されるべきものになるでしょう。特にインターネットを介したサービスでは視覚的なインターフェースは他の媒体と比較したとき表現方法が多彩でかつ変更可能性が高いものなので、これからも人間の振る舞いに寄り添うようなデザイン変更が幾度となく行われるのでしょう。

 

終わりに

なんかまとまりがなく書いてしまいましたが、この辺りで終わりです。後は余談。

1. 個人的には動画より活字媒体のものが好きです。これは本当に人によって好みが分かれるでしょうし、なぜ好みが分かれるかは深く考える必要があるでしょう(が、私は詳しくないのでスルーします)。

2. 人間にとって視覚的な表現はとても分かりやすいと思いますが、次に分かりやすいのは文字や音声ではなく「体感」じゃないでしょうか。風を感じたり重さを感じたり、そのような現象から得られる情報というのも非常に多くの情報量を持っているような気がします。5Gも動画が一瞬でダウンロードできるとかケチなこと言ってないでこの辺りの表現を実現させるインフラとして頑張って欲しいですね。仮想空間で猫と触れ合える体験とか実現したら流行りそう。

3. 現代ではとても洗練されたコンテンツサービスが乱立しているので、消費者としては自分が一番好きな表現方法をしっかり見つけた上でサービスを利用したいところですね(おせっかい)

4. 少なくとも、2D映像や文章を表現する分にはスマホで十分な気がします。それ以上のことは難しいと思うけど(ARとかはスマホでは厳しい気がします。3D領域に特化させたグラスなどがやはり必要でしょう。)