あくあん's blog

つらつらと書きます。最近はカメラの話。書評やガジェットの話なども。

意味の抽象化

言葉とは不思議なもので、1単語だけでは文脈を捨象してしまうんですね。

 

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どうもご無沙汰しています、あくあんです。

最近は卒論ばっかり書いているので久々にとりとめもなく思ったことを書こうかと思います。

 

突然ですが、最近以下の2つの記事を見て色々と思うことがありました。

 

nastnnouk.hatenablog.com

 

note.com

 

どちらも非常に示唆的で、分析に満ちた素晴らしい記事です。ぜひご一読あれ。

個人的には、クリスマスエクスプレスの「失ったもの」とかの話には共感できないのですが...

 

さて、私がこの2つの記事を見て「文脈から出てくる概念」がいかに情報としてリッチかを感じました。ある事象についてその情報を他人に伝える際、ことば1つでは情報が捨象されすぎているということ、逆に十分に伝えるには様々な(もしかしたら文字情報のみならず音や匂い、視覚的刺激などのチャネルと合わさった)情報を付加して、その言葉の持つ様々な側面を表現する必要があるのかもしれません。1つ目の記事の「天才」という単語の陳腐さの主張や、2つ目の記事の様々な文脈要素の積み重ねという考察が如実にこれを表していると感じます。

 

思えば、言葉は様々な文脈の中の特徴的・典型的な部分のみが第1印象として想起されてしまいます。全く知らない初めての概念を説明するなど、表現が粗雑であっても良い場合などはこれでもいいのかもしれませんが、論評など表現を細かく適切に選ばないといけない場面では、1つ1つの言葉は様々な文脈を抽象化して存在し、それらが組み合わさって文章ができているという事実を認識する必要があると思われます。

 

例えば、「海外」という単語からは何を思い浮かびますか?「メガネ」だったら?

「日本と海外を比較すると〜」みたいなありがちで浅い文章なら大抵アメリカ、たまに中国、ヨーロッパ(ヨーロッパってどこでしょう?この言葉ではどの国まで入ると思いますか?)が席の山でしょう。「先進国」なんて言い方で思い浮かべるのは綺麗な都市だったりしませか?

 

「メガネ」という単語は単体だとニュートラルな意味かちょっと悪いくらいの意味になるでしょう。「メガネオタク」なんて最悪そうなイメージかも。でも、かっこいい人がメガネをかけたりしたらそれは「ファッションアイテム」として認識されるでしょう。

 

もちろんこのような(都合の良い)抽象化はその言葉に対するイメージの共通認識がないといけないのですが、不思議なことに多くの人は大体の言葉(自分の母語)について他の人とかなり近い共通認識を持っていることが多いと感じられます。しかし、同時に多くの人が言葉の意味をあまり深く考えないまま/言葉に付加されている情報を吟味しないままに情報を取っているので、ミスリーディングなニュースの拡散や炎上などが起こってしまうのかもしれません。

 

いわゆる「テンプレ」な主張には気を付けましょう、ということも深く感じますね。